革命の最中,革命に気付く人はいない。ふと気付いたときに,社会がまったく変化したことに気付くだけだ。そして,私たちはそのまっただ中にいる,のかもしれない。
ロシアのエルコムソフト社が,米国のデジタル・ミレニアム著作権法に反していると起訴されたことに,同社はインターネット上の活動であり米国の著作権法に従う必要はないと主張。対して連邦検事補は,インターネットは米国の多数のコンピュータで形成された物理的存在で,その行為を禁止する権利があると反論している。
たとえば,世界のどこかの国で,顔に覆いを掛けてない写真を人目に触れるところに掲載したら刑罰が与えられる法律があったらどうだろう?(イスラムでは女性が家族以外の異性に髪や肌をみせてはならないという戒律を厳しく強いている国もある) 毎日誰かの顔写真が載っているニュースサイトはおしなべて刑罰を受けるのだろうか? そのとき,米国の法律では禁じられていないから,日本の法律では禁じられていないから,と云って言い逃れるのは可能なのだろうか? ならば今回のエルコムソフト社の裁判で,ロシアの法律より米国の法律に重きを置いている理由はなんなのだろうか? より大きい国の法律だけが存在を許され,日本を含むたいしたことない国はさげすまれるべき存在なのだろうか?
各所で云われていることだが,著作権は時代とともに変わるものだ。グーテンベルクが活版印刷による聖書を印刷したとき,それまで聖書を書き写すことで生活をしていた人は職を失い,グーテンベルクを呪った。だが,その人たちのことを私たちは思い返すことがあるだろうか? 技術があって著作権がある。現在跋扈している,最初に著作権ありきとし,技術を呪う人間たちも同様,数年後には忘れ去られているだろう。私たちは勇気を持って,彼らの職を取り上げるべきだ。
|